India Historic Spots (h1) ホイサレーシュワラ寺院 Hoysaleshwara Temple
バンガロールから西へ約194kmのハッサン (Hassan) を経由して、そこからなお、北西に約27kmの場所にハレビード (Halebidu) がある。
12~13世紀に西ガンガ朝のあとをうけてマイソール地方 (Mysore) で栄えたホイサラ王朝 (Hoysala) の首都ドーラサンドラ(Dorasamudra、湖の入口)が現在のハレビードだ。
城は残っていないので、もう小さな村と寺院群を残すのみ、このホイサレーシュワラ寺院はホイサラ様式を代表する建造物となっている。
旧首都ドーラサンドラの名前の通り、この寺院の東側に湖畔が見えた。
ここは2連のシヴァ寺院で、聖室、マンダパ、ナンディ堂が2つづつある。
マンダパは横に連なって長い空間となり、柱はろくろを回したような形、壁面には目いっぱいの密度が高い彫刻が施されてた。
この寺院、86年の歳月をかけたが完成には至らなかったらしい。
現在、2つとも生きていない寺院だが、奥(南側)の大きい聖室にはリンガが置かれ、神官が祀っていた。
この旅行で最初に訪れたこの寺院、日本人や東洋人には会わないが、とにかくインドの子供たちがひしめき合っていた。
ちょうどクリスマス ホリデー中で周辺の小中学校が社会科見学と称してインドの遺跡群を回っているらしいのだ。
今回の観光の間中、私たちはこのたくさんの子供たちの"What's your name?"攻撃に悩まさせられた。
数人ならとってもカワイイけど、何十人、何百人と小学校低学年くらいの子供たちが津波のように現れる。
少子化が叫ばれる日本では最近こんな数の小学生を見るのは無いくらいの人数なのだ。
インドの人口肥大、そして子供たちのエネルギーを感じる光景はずっと続くのだった。
左)星形の寺院。右)堂の一番下は象のレリーフ。力持ちの象徴。
左、右)2つのナンディ。北側(入口側)は黒っぽい石で、奥のは白かった。このナンディたちはインドで5番目、6番目の大きさらしい。
※牛のナンディはシヴァ神の乗り物。ヒンドゥー教のシヴァ寺院には必ず聖室を向く形でナンディが置かれている。
左)ナンディ堂の柱はろくろを用いている。右)寺院群東に湖が広がる。
左、右)南側のナンディ堂と聖室。
左)寺院の軒下を飾る女性像。イスラム信仰に顔を破壊された。右)寺院入口を飾る像。
左)南の並びのナンディ堂の後ろ(東側)のスーリア堂。右)マンダパの円形台。
シヴァ神、パールヴァティ、ガネーシャ、ナラシンハをはじめ、ジグザグになった壁面は全て、ヒンドゥーの神々で埋め尽くされている。
ジグザグにすることによって壁面数を多くし、その面全てにレリーフが施されていてその量に圧倒された。
以前、カジュラホなどでヒンドゥーの神々の壁面には出会っているが、壁の重圧感は勝っていた。
12~14世紀半ばまで栄えたホイサラ朝時代の建築をホイサラ様式と呼ぶ。
名高い哲学者&神学者であるラーマーヌジャ(Ramanuja)に感化されてジャイナ教からヒンドゥー教に転向したヴィシュヌヴァルダナ王 (King Vishnuvardhana)が建立したヴィーラ・ナーラーヤナ寺院にはじまり、数十を数える寺院が現存する。
その中でもっとも規模が大きく、寺院の地位も高かったのは、この首都のハレビードのホイサレーシュワラ寺院とべルールのチェンナケーシャヴァ寺院。
寺院の多くは現地で産出する緑泥片岩 (chlorite schist) で建てられ、すみずみまで丹念に彫刻されている。
この岩は肌理(きめ)がこまかいので硬質に見えるが、実際は軟質で彫刻しやすく、そのせいもあってホイサラ彫刻は精度が高く、几帳面な印象を受ける。
建築の特色は張り出し部がジグザグ状で星型になり複数の聖堂が一組になる独特かたちなため、壁面数が多く、その全ての壁面がヒンドゥーの神々の像が彫刻で埋め尽くされている。
関連記事