India Ladakh Race (1) ラダッキ Ladakhi
ラダックの都市レーではもう民族衣装で生活している人はほとんどいなかった。
周辺の村から出てきて、路上で野菜などを販売している女性たちが少しだけそういった服装だ。
レーから約60km以上西へ移動したアルチの集落の、年配の女性たちがわずかに帽子や服を身につけている。
たぶん、もっと奥地にいけば、多くの人を見ることができたのかもしれない。
左)民家訪問で、その家のおばあさんと女性。年配の女性はゴンダというシルクハットのような帽子をかぶっている。ここでもやはり同色の化繊系のベストを着る。
右)アルチですれ違ったウシをひくおばさん。エンジの服をベースにベストを着る。
左)村を歩く年配のオバサンの後ろ姿。帽子と背中の袋が印象的。
右)上右の81歳の女性の後姿。帽子と後ろの袋が気になる。80歳台のおばあさんの老け具合を見ると、このような高地で決して環境が良いとは言えない地域だが、日本人に近い長生きの遺伝子でも持っているのだろうか?膝が悪いと云っていたが、背筋がピシッとしている。
左)正装と云われる服装を着た女性たちの民族舞踊。右)トルコ石で頭頂部を装飾したツバの大きな帽子(ペラク)をかぶる女性。
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○ラダッキの民族衣装
ここは高地で春先のこの時期まだ寒い。ほとんどの人がナイロン系のベストなどを身に着ていて、完全に民族衣装だけの人はもういない。
それでも多くの女性は無地のエンジ系の服を着ていた。この服がベースとなり、その上に何かを羽織るという感じらしい。
外では年配の女性のみゴンダと呼ばれるシルクハットのような帽子をかぶる。そして、柄のある袋状の布を背負っていた。
顔の印象は私たち日本人に近いアジア系。ただ、日本人よりは浅黒く目鼻立ちもはっきりしている感じ。
背丈は低く小柄で顔は小さい印象だ。
インド、ジャンムー・カシミール州(Jammu and Kashmir)北部、北をカラコルム(Karakoram)山脈に囲まれた、雨量が年間50mmときわめて少ない乾燥した、約3,000mから4,500mの高標高地に住む。
言語はチベット語の古い型を残すとされるラダック方言であるが、レーを中心とするレー(Leh)方言、インダス川上流域のロン(Rong)方言、下流域のシャム(Sham)方言に細分化される。
かつては吐蕃王国(チベット)の一部であり、10世紀から19世紀の半ばにかけて独立した王国を保っていたが、1834年にシーク王国下にあったジャンムー、ドラク地方の藩王に征服され、インド独立までドグラの支配下に置かれた。
小麦、大麦を栽培を主体とする水利農耕、ヤギ、ヒツジ、ヤク、ゾッキョ(Dzopkyo、ヤクとウシの混血種)を対象とする牧畜を主な生業とする。下流域ではアンズ、クルミ、リンゴなどの果樹栽培。上流域ではヤクの牧畜が中心となる。
ほとんどの人がチベット仏教徒だが、ほんの一部、イスラム教徒やキリスト教徒もいるそうだ。
(参考:弘文堂 世界民族事典 山田孝子著 一部抜粋、修正)