2014年のGWは長期休暇を取得するには難しいカレンダーなので、海外旅行をする計画はたてていなかった。
まさかこんな一日にして私の住む街がこんなに変化するとは。。。。
4月26日の朝のニュースと市内に流れる防災放送&メール(防災ではなくても流れるけど)によって
「本日、世界遺産の審査を行っているイコモスから富岡製糸場と絹遺産群について世界遺産に登録されるのがふさわしいとの勧告がなされた」ということを知った。
その後はみなさんのご想像どおり、まだ十分な観光地化もされていない富岡市はこのニュースとともに人の溢れる街に激変した。
製糸場から700mほどの場所にある我が家の前を、無料駐車場から歩いて向かう家族を見ながら
「結構来てるなぁ~、まだ世界遺産にはなってないのに、ニュースの力ってすごい。。」と思って見ていた。
『GWには見学に行かない!』つもりだった。
でも昨日、古くからの親友が見たことが無いというので「とりあえず製糸場近くに行ってみるか」ということになった。
門のところは長い列で1時間待ちとのこと。いつになったら入れるか?という感じだったので、勝手知ったる。。で、レンガ倉庫の見える外側を一周散歩して帰ろうかと思い案内した。
帰る前に再度門前を通ったら、列みじかっ!
『チャンスだ入ろう!!』と10分待ちほどで中に入ることができた。
中はボランティア解説員ではなく、私の解説でご案内、一周して「工女ぐんまちゃんに遭遇!!」で、『ぐんまちゃん、ここにずっといるのかな?今日は暑くて大変だねぇ~」と撮影して帰ってきた。
今日、中で今解説員をやっている姉に『意外とすぐ入れたヨ!』と言ったところ、『無料駐車場が全て満車、上信電車も来ない時間でほんの一瞬だけ空いた時間があったらしい。」と言っていた。
その時だったのネ~。
「ぐんまちゃんも15分くらいしか居なかったはず」とのことで、重ね重ねのラッキー見学だったようだ。
●今年の年始の富岡製糸場はこんなガラガラで静かな場所。こんな風景の写真はもう撮れないだろうなぁ・・・と思う。
●群馬県を代表する地方紙「上毛新聞」のかつて見たこと無い『号外』
以前から歴史の近代史の教科書に載っているレンガ造りの建物の写真。
日本の教育を受けたほとんどの人がそれを見たことはあるはずだが、それが群馬にある官営富岡製糸場だということを認識している人はまずいないと思う。
特に他県の人は。。でも、その富岡製糸場が世界遺産になりそうだという話なのだ。
世界の、特にインドの世界遺産を数多く見てきた私にとって、『製糸場は魅力不足なのではないか』と思っていた。
それは子供の頃からこの工場が身近すぎて、その価値を客観視できていなかったからなのかもしれない。
「群馬県富岡市富岡 1 番地」
私、chackeeが生まれ育ったこの群馬県富岡市は製糸場を中心に発展してきた街だ。
実は以前は製糸場から300mくらいの場所に住んでいた。あってあたりまえ、官営工場だったとはいえ、中には入れなかったので、そんなに重要な工場だなんて思ってもみなかった。
幼稚園はその側道の凸凹とした道で転び、膝小僧をすりむきながらも駆け抜けて通っていた。
当時、周囲はブロック塀でなく、木の杭で囲まれていた。
入れば簡単に入れそうな場所だったけど、高いレンガ造りの建物は、威厳のある空間で、あきらかに子供を拒否している感じがしていた。そのため、「中に入ってみよう!」なんて気は起きなかった。
小学校の時、片倉製糸場として稼働もしていたので工場関係者の子供が時々「転校生」として同じクラスにやってきた。
確か5、6年生の時にいたO君もそうだったが、またすぐに転校してしまった。懐かしい。。元気かな?
当時、一度だけ、確か創業100年記念だったか?で、工場見学をさせていただいた思い出がある。
大きい工場だけど、働いている人は少ない印象だった。
そして、春の暑くなり始めた季節。家の前を大型トラックが通過する。
その車から流れ出る液体に私は鼻を押さえた。
何時間経ってもその日は道路のニオイは消えず「今日、片倉のトラックが通ったんんだね~」と誰に文句を言えるでなく、不機嫌になっていたことを思い出す。
製糸場というとどうしても「野麦峠」を連想される方が多いのだが、それは今の岐阜県と長野県の境目の峠のお話。
ここは官営工場。 明治の国家プロジェクトとしてフランスから工場建築や生産技術を学んだ工場。
日曜や年末年始のお休みもあり、工場による食費負担、産業医が常駐するなど、数々の労働環境や福利厚生が整っていたようだ。
まあ、ちょっとした私の思い出を書いてみたけど今回はこの辺で。。
今後、6月に正式に世界遺産に無事登録されることをお祈りします。