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Sri Lanka Historic Spots (5) シギリヤ <2>

Sri Lanka Historic Spots (5) シギリヤ Sygiriya <2>

シギリヤ (Sygiriya)という地名は、シンハラ語で「シンハ(Shinha)=ライオン」と「ギリヤ(Giriya)=のど」が合わさった『シンハギリヤ(ShinhaGiriya)=ライオンののど』が変化したらしい。

このシギリヤ ロックにはライオンの頭部や足などが造られていたようだ。
現在はその一部の鋭い爪をつけた足先だけが残っている。
足の間が階段となっていて、ライオンが大きくあけた口の中に飲み込まれるようにして、宮殿に入るようなイメージだったらしい。

この宮殿にまつわる歴史的ストーリーを簡単にご紹介。
5世紀の後半(477年)、アヌラーダプラを統治していたダートゥセーナ王 (King Dhatusena) には腹違いの2人の息子がいた。
その長兄カシャパ王 (King Kasyapa) は嫡男でないがゆえ、自分の行く末を心配して王である父を殺害。
嫡子の弟モッガラーナ(Moggallana)を南インドへ追放し、自分で王座についた。
だが、弟の復讐を心配して、アヌラーダプラからこの足場の悪い要塞のような宮殿をここに作ったのだ。
しかし11年後、やはり弟モッガラーナの攻撃により失脚。カシャパは自刃した(他説は服毒したなど、いろいろあるらしい)。
そして、弟モッガラーナは王座につき、都をアヌラーダプラへ戻したそうだ。
その後、都はポロンナルワへ遷都され、この地は14世紀ごろまで仏教徒僧院として使用されたらしい。

観光の当日、宮殿まで登れるのか心配だった。「文化住宅的階段をかなり登る。」と聞いていたが、この巨大な岩場を見て、もっと不安になった。しかし、登ってみたら階段数のわりに比較的楽だった気がする。
幅は狭いが、高さがちょうど日本の住宅内にあるような階段なので、かなり登りやすかった。

ライオンの足から先は本当に足場の悪い金属の階段となったので、高所が苦手な方には厳しかったのではないかな?
私は高所は問題ないが、途中からとても暑くなったので(日本の夏のように蒸し暑い)汗だくになり、降りてからの冷えが気になった。


左)宮殿に登るために、こんな斜面に鉄の階段がかけられている。右)宮殿跡。


左)ライオンの足側の貯水池らしいくぼみには水が無い。右)東面にある池。こちら側から宮殿の方向を見ると丘が青々としている。


左、右)宮殿から下界を見る風景。湿度が高いので、遠くまであまり良く見えない。


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