インドネシア染織の旅(1981年8月21日~8月28日)
過去の旅行の資料を見つけていて、やっぱり最初は初の海外旅行かな?と。
もう、30年も経っているのか~。。
当時、染織を学ぶ学生だった私。大学の研究室の伝言板に時々旅行の募集チラシが下げられていた。そのいくつかある中で、なぜかこの「インドネシア染織の旅」というタイトルに惹かれて行くことにした。
観光の他、染織関係の施設を見学するという、今思うと、当時としてはちょっと贅沢な旅行だった気がする。
大学では染織専攻していた。でも、本当は民俗学のようなことを勉強をしたかった。
高校で大学を選択する際、民族学や文化人類学的なことを学べる場所を探したが、私の学力レベルでは入れない大学か、関西圏にある大学しかなかったので、その方面はあきらめた。
で、細かいことが好きだったし、家業が洋服屋だったこともあり、服飾系か染織系かな?と、美大の染織工芸科を専攻することになった。
そんな簡単に私の将来の方向は決定された。
これは長くなりそうなので、回顧録はこの辺で。。
インドネシアの旅行の話へ戻ります。
当時、インドネシアへ渡航するには、まだコレラの予防接種(イエローカード)が必要だった。
群馬の場合、前橋の保健施設しかなく、そこで1回と東京・有楽町の交通会館まで行ってもう1回、とても太い注射をした記憶が残っている。
その後はそんな注射が必要なエリアに旅行すること無く、現在に至ります。
旅行の始まりは成田から。
すでに、成田空港は開港して数年経っていたが、空港へ行くのに上野からの京成スカイライナーしか手段がなかった。
それも上野のJRと地下道がつながっていなくて、一度地上へ出て、重いトランクをゴロゴロ、キャスターを段差に引っ掛けながら京成上野駅まで行って電車に乗ったように覚えている。
(この時はまだ荷物を今のように宅配便で送るなんてこと、考えられなかった時代。)
そして成田でも、空港地下には電車が乗り入れてなかったので、遠くの駅で降り、そこからバスで空港に向かったようなかすかな記憶がある。
当時は大変だったのね~。。。海外へ行くのって。
そんな旅行のはじまりだった。