India Fringe (L2) デリー最終日 in Delhi
この旅行、最後まで行かずに、こんな暑い季節となってしまった。
後半になってからPCの具合が悪くてアップが進まず、PCを買っても更新環境を設置できず。。言い訳書いてます。
最終日のデリーをもうちょっとだけ書いて終わりに。
旅行は終わりに近づいて、ラダックを離れ、朝早くレーを発ち、デリーへ。
天気も良く、戻りの便は順調です。
先ほどまでダウンが手放せなかったのに、デリーの気温は35℃。国内での数時間の移動とは思えないほどの気温変化だった。
さっきまで春のアンズが満開だったのに、真っ赤な熱帯花木のホウオウボクの街路樹が満開の真夏のデリーです。
日本への帰国便調整のためのデリー観光は、インド門と官庁街&ショッピングを楽しむのが王道。
でも、今回は最初のプラン変更の一日でそこの観光は済かんでいるし、どうするの?と。
以前、聞いていたけど「北インドの有名な観光地(タジマハールやアグラ城)は、北インド観光ガイドの免許を持った現地ガイドにつけないといけない。」らしい。そういうこともあり、このデリーで、あまり日本語が上手ではないガイドさんの登場で少々気落ち。さて、どこへ行くんでしょ。
●シク教寺院 Gurdwara Bangla Sahib, Delhi グルド・ワーラー バングラ サヒブ
この旅行のこれまではチベット仏教漬けだったけど、この日はシク教(Sikhism)寺院を見学することになった。
シク教の大きな寺院をグルド・ワーラー(Gurdwara)と云う
今までインドを数回訪れているが、シク教寺院を参拝するのははじめて。
総本山のアムリトサルのハリ マンディル(Hari Mandir)黄金寺院ではないが、かなり興味深い寺院見学となった。
シク教は多宗教国のインドでは4番目(ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教の次)、仏教徒より多い約2%弱の信者をもつ宗教だ。
16世紀にパンジャブ人であるグル・ナーナク(Guru Nanak)が開祖として、イスラムの影響を受けて、ヒンズー教を改革した宗教。
輪廻転生を肯定し、神を崇拝し、偶像礼拝・カースト制度を否定している。
もともとはなかったが、途中からタバコ、アルコールなどを禁止した戒律。
そして、ここが重要だが、シク教の中のカールサー派の男性は髪の毛とヒゲを切らず、ターバンを着用している。
シク教は成立時より裕福で教養があり、教育水準の高い層の帰依が多く、アーリア人系が多いのでガタイの良い。
そこで、イギリス統治時代のインドでは官吏や軍人としてシク教徒が多く登用されたため、英国兵と並ぶ軍人や海を渡った人々のターバンを巻いている頻度が高かった。そのため、『インド人=ターバンを巻いている』というイメージが海外に根付いたそうだ。
寺院内は偶像崇拝を否定しているので、神様の姿はない。壁に向かって礼拝をする姿を見ることになる。だから内部はさっぱりとしている。
全体的な寺院外観はイスラム教のモスクに似ているが、カクカクとしたモザイク的な装飾ではない。金色やフリルっぽい曲線的なやわらかい装飾が施されている。
左)正面外観、右)寺院入口。前に並ぶオレンジの三角巾をかぶるのは観光客。観光で参拝する場合も寺院内に入るためには男女問わず頭頂部を隠さないといけない。私たちも別室に通され、靴を脱ぎ、三角巾を渡されかぶった。
左)参拝前のお浄め。右)沐浴場。
脇には給食のキッチンがあり数十人の人たちがここで寝泊まり参拝し、日々を送る人たち何百人かのための食事を作っていた。 ここは全て信者の寄付によって賄われているとのことだ。
左)粉などの寄付を受け付ける入口、右)自動ナン焼き器。
左)大きな窯でカレーを混ぜるオジサン。右)ナンを伸ばし、成形する女性たち。
左、右)寺院周辺の道に貼られたシク教説法会のためのポスター。日本人のイメージする「インドっぽい人々」